日本における羽毛ふとんの普及の歴史は浅い。明治、大正に上流階級とか、いわゆる洋行帰りといった極く限られた人たちに使用されるにすぎなかった。
当時の羽毛ふとんは、とびきり高級かつ高価な舶来品で庶民にとっては高嶺の花といった存在であった。
我が国で羽毛ふとんが作られるようになったのは昭和の初め頃よりであり、ようやく一般家庭にその普及が始まったのは昭和40年代の前半期であった。その後、国家経済の高度成長を背景に庶民の生活も豊かになり、従来から高級商品的な見方をされてきた羽毛ふとんも一般家庭で購入され、使われるようになった。しかし、当時はまだまだ贅沢品としてみなされ、40%もの高い物品税が課せられていた。当時の羽毛ふとんはドイツをはじめとしたヨーロッパ諸国から製品を輸入して国内で販売するといった方法が大半であった。
昭和44年に物品税が廃止となったが、その理由は消費生活の向上、所得向上などと照らし合わせて、羽毛ふとんは贅沢品ではなく、実用品であるとの認知を得ることであった。
羽毛ふとんの消費を加速させた要因の一つとして、羽毛ふとんの生産国である中国との国交回復で羽毛貿易にも好影響を及ぼし、加えて為替の急速な円高進行などに後押しされて、羽毛ふとんの普及は本格化へと進みだした。こうした普及の拡大に合わせて、昭和410年代後半から国内での生産も本格化へと向かった。
生産本格化の主軸は生産の機械化であった。すなわち羽毛の精製・充填・縫製など一連の機械設備を導入した羽毛ふとんメーカーが相次いで誕生した。生産に関連する羽毛洗浄機、ソーティングマシン、ミキシングマシン、充填機、縫製機器などの開発が急ピッチで行われた。
また、原羽毛洗浄の為の洗剤や薬剤、さらには羽毛ふとん専用の生地の開発も進み、国内生産の羽毛ふとんが市場をリードするようになった。
急速な普及拡大は品質面、価格面に適正さを欠いたことも否定できない。当時、品質表示の法律も整備されず、品質についての基準も統一されておらず、品質の悪い粗悪品が適正でない価格で市場に出回るなど消費者に戸惑いを与えるようなところもあった。
平成元年日羽協を中心として通産省、学識経験者、消費者代表による原案作成委員会によって、JIS規格(日本工業規格)が制定され、「羽毛用語」「羽毛の試験方法」が国内で統一された国の基準として決定をみた。
わが国における羽毛ふとんの普及は、その気候風土にあった高機能寝具として、高級感をもつ感性、本物志向、そして主軸となっている健康機能ともあいまって、わずか20数年の間に驚異的ともいえる急成長をなしとげ、この間の幾多の試練をも乗り越えて安定成長を続けているが、不況の影響などもあり、昭和62年~平成3年頃をピークに国内製品の販売はその後年々5%前後の減少を続けている。
品質破壊、価格破壊の元凶であった一部の輸入品もここ2~3年は急激に減少し総体的な消費量の減少につながっていることは事実だが単価アップが進んでいることは将来に向けて明るい材料だ。
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